表現の自由はつまるところ、あらゆる「表現」の自由なので、抽象的で分かりにくいと思います。そこで今回の記事では表現の内容に関する制約(憲法21条1項)の問題についての判例を紹介したいと思います。
チャタレー事件(最大判昭和32・3・13)
〈事件の概要〉
①Xらは『チャタレー夫人の恋人』という本を翻訳し、出版した。
②この本がわいせつ文書にあたるとして、刑法175条(わいせつ物頒布罪)に基づいて起訴された。
③今回の刑法175条の適用は表現の自由(憲法21条1項)を不当に制限するものであると主張して、上告。
〈判例の内容〉
①まず、判例はわいせつ物の意味を確認した。判例によると、わいせつ物とは、「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、且つ普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するものをいう」とした。
②①の判断は裁判官が社会通念に基づいて行う。
③本書の内容は、「性行為の非公然性の原則に反し、……羞恥感情を害するものである。またその及ぼす個人的、社会的効果としては、性的欲望を興奮刺戟せしめまた善良な性的道義観念に反する程度のものと認められる。
④「本件訳書を猥褻文書と認めその出版を公共の福祉に反するものとなした原判決は正当であ[る]。」として憲法21条の表現の自由に反しないとした。
〈ポイント〉
・罪刑法定主義により、処罰範囲が不明確あるいは過度に広範なものは刑法としてダメ
→「わいせつ」の意味を限定する必要があった。
・現在は、わいせつとされる範囲は限定されてきており、メイプルソープ事件(最判平成20・2・19)では、性器が露出した写真等を含む写真集のわいせつ性が否定された事件もある。
最後に
今回は、表現の内容に着目して、表現の自由を制約することができるのか(結論としてはできる)について書いてきました。次回は、表現内容中立規制、つまり表現の内容ではなく表現を行う時間や場所を問題として、規制をすることが許されるのかについての判例をご紹介したいと思います。
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